フルーツを買いに行こう。

晴れすぎた朝。

陽射しは強く上がりすぎた気温に、懐かしい夏の匂いがする。

全部死んでしまったというのは、こんなことなのかと独り言ちる。

夏の陽射しを浴びては夏の匂いにワクワクしていたのは、遥か遠い日だ。

死んだと繰り返し聞こえていたのはこんなことなのか。

圧迫する老人や狂人がいなくなってみれば、ある日の夏の匂いが、天気のように解放されている。

解放が遅すぎたのか、憎しみが強すぎたのか、解放され戻るはずのワクワクドキドキとした夏の一日は、戻るでなく死んだのだと言って変わらない夏の匂いを滲ませている。

暑い。

解放され気温が上がりすぎたように見えるのだが、死んでしまったのだろう。

ある日。

ある夏。

ある一日。

変わらないと信じていた日々は、不自然な形をしている。

気づくのが遅かったが、通帳を見ると先月末に給付金が入金されていた。

壊れているわけではないのだな。

給付金ならちゃんと入金されるのだから。

スーパーに買い物に行った。

暑すぎるからすいか!と思い、すいかと箱入りのトマトを買った。

小さめのトマトが箱いっぱいに並んでいるのは、料理意欲を高めワクワクするものだ。

別のスーパーに箱入りの桃が売っていたことを思い出し、自転車を走らせた。

パンクした!という何某かはなかった。

パンクした車輪が唐突に出てきてしまったかのように、自転車後輪の空気が抜けていた。

自転車を押しながらスーパーに行った。

箱入りの桃、1280円を購入した。

先月買った桃は、1000円でギフトボックス入りだったが、見劣りがした。

ギフトボックスよりいいのだな。

普段食べるのだから。

トマトと桃の箱を冷蔵庫に収めると落ち着いた。

桃をただ食べるのか!?と聞く声もあるが、大概剥いて食べてしまうのである。

アイスとゼリーでパフェは作ってみたが、ケーキはまだ焼いていない。

何かコレだというものがあるに違いない。

 


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